徒然日記私がそれぞれの節目に思ったことを綴ってみました。 2001年 3 月 二女の小学校卒業式、三女の幼稚園卒園式。 告知すぐあとなので、成長のうれしさよりこれからの不安 を感じ、涙涙だった。 いつもは写真が嫌いな私だけど、この日ばかりは子どもと 一緒の写真をたくさん撮った。思い出に残るように・・・ 4 月 小学校と中学校の入学式。 どうしても病気のことを考えしまい、三女の卒業が見られる か心配だ。 やっぱりこの子が成人するまで生きていたいよーー!! 6 月 仕事復帰 パソコン購入 夕刊に卒園式の写真が載る タイトルが「ガンバレ」 この写真にずい分励まされた。 7 月 誕生日を迎えた ☆私の誓いの言葉 生きる事をがんばりすぎない 生きることに手を抜かない 生きることをあきらめない 辛くても泣かない 辛くても笑顔を忘れない 自分の生きる力を信じる ☆病気に対してのこれからの考え 再発、転移は考えない 腕のむくみも必要以上に心配しない 症状が出たら、主治医の相談し、考える 今を元気に生きることだけを考えていく 8 月 家族旅行で熱海に行き、温泉デビュー 翌日、大涌谷の名物「黒玉子」を2つ食べた。 延命長寿の玉子で1つで7年延命できるという。 だから私は14年は大丈夫!? 10 月 あけぼの会「秋の大会」に参加。掲示板で知り合った3人の 仲間と参加。病気を持っていてもみんなこんなに元気でいる んだと感心した。私も元気が出た。 11 月 友達が乳がんと言われ、話をしているうちに改めて病気の 怖さを認識。その日の夜の忘年会では悪酔いしてつぶれ た・・・ 2002年 3 月 乳がんを告知されて1周年。長女の卒業式。 昨年のような先の見えない不安が少し減ったので、 子どもの姿をしっかり見られた。 PTAだよりの「10年後の私」に長女はこう書いた。 「幼稚園か保育園で働いていて忙しい毎日を送っている!」 その姿、絶対見てみたい!!! 4 月 手術から丸1年が経った。今のところ何も問題はないが、 常に再発の不安があって、それが辛いと思う。 腰が少しでも痛ければ、骨転移?咳が出れば、肺転移? 立ちくらみがすれば、脳転移? いつも乳がんと闘っている感じ。 自分でケーキを買ってきて、1周年を祝った。 何回まで祝えるのだろうか? 7 月 誕生日 最近やっと、再発や転移を心配したところでどうしようも ないし、なったらなった時・・と乳がんを忘れることにし ようという心境になった。(1年かかったな~) 子どもたちから心のこもったプレゼントをもらい、うれし かった。こうしていつまでも年を重ねて生きたい。 2003年 2 月 Vol-Netのイベント「おしゃれ探究会」に参加。 そこの掲示板で会った人とランチしてから会場に行った。 ピーコさんの講演、おしゃれ、メークの話、ミニコンサート どれも私が「自分らしく生きる」ためのヒントになった。 会の後の懇親会も楽しかった。会いたいと思っていた人にも 会え、たまたま一緒のテーブルに着いたというだけで、若い 人たちとも知り合え、勇気をもらった。 さだまさしのコンサートに長女と一緒に行った。 相変わらず楽しいコンサートだったが、その中でちょっと 変(?)なことを考えた。 人が亡くなる時って、耳は最後まで機能が残るというから、 死ぬ瞬間をコンサート会場で家族に肩を抱かれながら、さだ さんに歌を聞きながら迎えられたら幸せだろうな・・・と。 (この後、テレビドラマ「僕の生きる道」で同じシーンに 出会って、びっくり!!) 4 月 私のHP「まほろばの国から」をオープンさせた。 記録に残すことで私の気持ちも整理できる気がする。 次はもっと女性らしい素敵なHPに挑戦したいと思う。 6 月 乳がん仲間とオフ会。のぞみん、みかん、ピグレット、 子メロン、それに私の5人が袋井に集まった。のぞみんとは 初対面。でも、全然そんな感じがせず、最初から話が盛り上 がって、楽しかった。 不思議な縁だなと思う。病気しなかったら、すれ違っていた だけの人たちがこうしてずっと前からの友達のようにランチ している。 乳がんとは一生付き合っていかねばならないが、この人たち ともこれからもずっと付き合っていきたい。 テレビの特番「SMAP×JAPAN」で介護用品の会社 社長で、筋ジストロフィーの春山さんの言葉 「首から下が動かない。逆に言えば、首から上は動くと いうこと」 「病気でひとつ失って、3つもらった」 印象に残る言葉でした。 私もこうやって前向きにいきて生きたいな~。 7 月 病院内の患者会「びわの会」に参加。 患者18名、看護師6名参加があり、丸くなって、ディス カッション。テーマはカツラと補正下着。 患者の中にはこれから手術という人、手術が済んでこれから 抗がん剤治療という人もいて、その人たちの不安も聞いたり した。私やピグちゃん、他の患者さんを見て、乳がんになっ たって元気でやっていけるということを知ってもらえたよう で、よかった。 患者でなきゃ伝えられないこともあるということを看護師さ んから聞いて、私たちにできることを確認できた。 Vol-NetおしゃれBOOKのキャッチフレーズにも あったけれど、「あのころの私に伝えたいこと」を伝えられ ればと思う。 東京で乳がんオフ会。総勢9名でランチ。1時間くらいの 時間でしたが、わいわい楽しくお話ができました。 自分より若くして乳がんになり、でも健気に治療に望み、 がんばっている姿を見ると、私はずい分励まされる。 夜はSMAPのコンサートへてみかさんと二人で出かけた。 なんとも不思議な縁。2月に初めて会った時、SMAP話で 盛り上がり、こんなに早く一緒にコンサートに行くことに なるとは思いもしなかった。 乳がんになってから、子どもが大きくなったらとか年を取っ たらとか考えられなくなって、即実行!!の二人。話が合っ てしまった… 燃えた、燃えた!!元気をもらってきました。SMAPから もてみかさんからも。 翌日は一人で東京めぐり。こんなに元気で好きなことが出来 ることに感謝、感謝!!の2日間でした。 9 月 びわの会の院外お茶会をピグレットさんと開催。 カラオケルームに13人が集まった。術前治療している方か ら、術後間もない方、術後1~2年の方、いろいろだった。 みんな、病気の話しをする仲間を求めていた。 これからも、びわの会で乳がん仲間の輪を広げたいと思う。 10 月 東京ランチオフ会。ママモンに声をかけたらいろいろ声を掛 けてくれて13人も集まった。鹿児島のうずさんも来た。 どんどん、仲間が増えていく。自己紹介したり、病気の話を して、1時間半を過ごす。 1時からはVol-Netの勉強会。「ホルモン療法について」の話 で、パソコンと同じ資料をもらいわかりやすい説明だった。 聴きあいの会ではディレクターのおきょうさんが入ってれ、 5人での会でした。偶然にも静岡の人とも一緒だった。 術後2年半も経つと、だんだんアドバイスする側になってき たと感じる。でも、不安がないわけじゃない。まだまだ仲間 は必要です。 その後の懇親会(お茶会)にも参加。りりあんさんやみんと んさん、すみすみさんと話した。 11月 ピグレットさんと浜松オフ会を開いた。 愛知組4人とびわの会7名、それに子メロンさん、総勢14名 の参加。初めて会った人も多かったのにすごい盛り上がり。 パソコンの力ってすごいね。会ってよかった、オフ会やって よかった!!ってとてもうれしい気持ちです。 二次会は希望者7名で温泉に行きました。みんなで露天風呂 に入って、またおしゃべり。お互いの手術跡を見せてもらっ たり、再建の胸を見せてもらったりして勉強になりました。 参加された皆さんの免疫力UP、間違い無しです!! 浜松オフ会の3週間後、「びわの会」の忘年会を開いた。 参加は10名。院外お茶会のメンバーがほとんど。 初参加は1名。仲間が出来て喜んでくれたようで、 うれしいです。 12月 第13回「びわの会」に参加 患者22名、看護師5名の参加があり、だんだん盛り上がっ てきている気がする。 「免疫力」について勉強した。そのあと、グループディス カッション。時間が足らないほどの盛り上がりでした。 新しい人に出会うたびに思う。仲間と出会ったことを喜んで いるって。これからも仲間の輪を広げるためにお手伝いでき たらいいと思う。 2004年 1 月 「びわの会・お茶会」の第1回目をレストランで開催。 11名の参加があり、おいしい料理と楽しいおしゃべりで、 あっという間の3時間でした。 この調子で、毎月「お茶会」が開催できるといいなと思う。 一人で悩んでいる新しい患者さんにぜひ参加してほしいと思う。 3 月 次女が中学を卒業、義務教育修了です。私の乳がんと共に 過ごした3年間でした。自分の夢をしっかり見つめて、 まっすぐ進んでほしいと願っています。 今日の次女の晴れ姿を見ながら、6年後に義務教育を卒業 する三女のその時の晴れ姿を絶対見たい!!そう思いました。 4 月 「ホルモン感受性閉経後乳がん術後補助療法における タモキシフェン継続投与とタモキシフェンーアナストロゾール 順次投与のランダム化比較試験」に参加することにした。 アナストロゾールの再発予防効果が高いというのに引かれて 参加したが、タモキシフェン継続投与群に登録されてガッカリ。 比較検査なので、タモ継続という人も半分必要ですから、 仕方ないと思う。 新しい薬の効果の証明の一助になればいいと思っている。 9 月 主人に癌発覚。「腺様のう胞癌」という頬の中にできる珍しい癌でした。 癌であったことより、夫婦してがん患者になってしまったことに 不安を覚えました。子供たちが不憫です。 でも背負ってしまった人生を変えることはできません。 だから、今まで私が3年半かかっていろいろ考えてきたことを これからは主人とも一緒に考えながら、免疫力を高めることに努力して、 生きて行こうと思います。 2005年 3 月 長女が高校を卒業。親子ともに元気な笑顔で卒業できたことを うれしく思います。 校長の話の中で、卒業生のお母さんが卒業を待たずに、2月に 旅立たれたけれど、きっとその子のそばに来ていますよという 話があり、私が今ここに座って、こうして卒業していく子どもたちを 見ていられることを幸せに思う。 保育士志望の長女、心やさしいいい先生になってください。 その活躍が見られますよに!! 4 月 術後4年の検査をすべてクリアできた。 子どもたちもそれぞれ進学進級し、また新しい春がやってきた。 2年の任期で引き受けたPTAの仕事も無事終えることができた。 引き受けるときはもし再発でもしたら…という不安もあったが、 無事終わったことをうれしく思う。 乳がんを手術して今日で丸4年が過ぎた。4年も経ったのに、 そのときを考えると気が重くなるし、心臓がどきどきしてくる。 この日を忘れて過ごし、そういえば…という日が来るのだろうか?? 2006年 4 月 術後5年の検査をすべてクリアできた。 来月でホルモン治療が終わり、半年ごとの検診になる。 入学式から帰る親子を見て、5年前を思い出す。 あの時はこの子の卒業する姿を見られるのかすごく不安で、 入学式では涙があふれた。 5年も薬を飲むなんて、長いな~とも思った。 でも、経ってみると意外と早く元気にその日を迎えられ、 来年の卒業もきっと見られると思うと、やっぱりうれしい。 2007年 3 月 この3月、3人の娘達のそれぞれの卒業式があった。 長女は短大を、次女は高校を、三女は小学校を卒業した。 とりわけ、三女の卒業式は思い入れが大きい。 小学校に入学したのは乳がんの手術を控えた時だったから、 この子の卒業する姿は絶対見たいと思いながら、かわいい笑顔に涙した。 だから、こうして無事小学校の卒業式に臨む成長した娘を見て、 うれし涙がこぼれた。 そして、だんだんこのままずっと子どもの成長を見守っていけるような 錯覚に落ちている。 人生はいつ何が起こるかわからないけれど、後悔しないような生き方をしたい。 改めてそう思っています。 4 月 三女の中学入学式、6年前の次女の時のことを思い出した。 改めて、こうして式に出られることをよかったと思う。 こうなると、欲が出てきて、孫の顔を見るまでは生かして下さい!! 神様がいるのなら、そうお願いしたいと思う。 2008年 1 月 夫が昨年秋に会社の健診で指摘された、肺の影はやはり肺転移のようだ。 来月初旬に胸腔鏡手術で腫瘍を取ることが決まった。 最近は病気のことをあまり考えずに生活してきたけれど、またしばらくは いろいろ考えてしまいそうです。 それって、結構疲れるものですね… |